あんだんて
2019.05.09 Thursday
父が5月6日に亡くなりました。
こんな事を書く日が来るとは思いもしませんでした。
突然のこと過ぎて、未だに夢かな?と思う事があります。
実感がありません。
涙が急に溢れたり、
ボケーっとテレビ見たり
自分でもよく分からない感じです。
ライブのPAの仕事に行く途中、容態が急変して、そのままという事でした。
父はわたしに最初に音楽を教えてくれたミュージシャンです。
わたしが一番最初に書いた曲は、幼稚園か小学生か、そんな頃に父と書いた動物の歌。
冬、外にいる動物は寒くないかなって話しをしていたら
「アキラ、歌を作ろう」と言って
動物の歌を一緒に作りました。
(数年前のワンマンで披露した曲だよ)
それがシンガーソングライターの始まりだったのかなと今は思います。
音楽の他にも、
宇宙の不思議や、魂の不思議、、
そもそも、お父さんが不思議な人でした。
父をよく知る人や家族の間では、お父さんは宇宙人(笑)
天に近い人でスピリチュアルな人でした。
父は若かりし頃、ギターリストとして横浜に住んでいました。
わたしが高校生の頃、自分が載っている雑誌を見せてくれた事がありました。
真っ白なスーツ?を着てギターを弾いてる姿でした。
グループサウンズの時代ですね。
ギターリストとして数年東京で活動して、体を壊して京都の地元へ戻り
そこで、レコード楽器店「あんだんて」を開業しました。
山と海しかないこんな田舎町に、エレキギターやロックを連れてきたのが父でした。
http://himenoakira.jugem.jp/?eid=1139
(ここで詳しく書いています。)
「あんだんて」はたくさんの若者で賑わって
一時期は、2店舗を構えるほどでした。
ギターレッスンなんかも始めたりして。
わたしは小学5年生までしか父と暮らしていないので
そのあとの詳しい事はあんまり知らないけど
時代も変わり、大きなモールもできて、またインターネットも出てきて、
小売店が厳しい時代にもなり
あんだんての店舗は潰れました。
それから父は、
「物は売らない。腕だけでやる」と
ライブのPAエンジニアとしてあんだんてを続けました。
楽器屋の時代からコンサートのPAもやっていたりしたので
それ1本になりました。
わたしが田舎で歌うときは、いつも父がPAでした。
わたしがデビューして
毎回CDを渡して
すごく覚えてるのは
2枚目のシングルのアレンジを聞いて
「お、アキラ、これはビートルズだなぁ」と言った父に
わたしが
「お父さん、、そう思うじゃん?
でもこれはBADFINGERなんだなー」と言うと
嬉しそうに「そっちかー!」と笑って
わたしもなんだか、お父さんと対等に話せてるみたいで嬉しくて
今でもとても心に残っています。
音楽の話しをするときはキラキラした少年の顔に戻る
そんなお父さんが大好きでした。
「ここのコーラスが、、ほら!凄かろうがぁ〜」とか
「このコードの、こっからこう行くのが〜〜…(キラキラした顔)」…
本当に音楽に恋をしてるんだなあと
父親だけど、可愛い人だなぁと思って聞いてました。
70歳手前から少しやる気がなくなって来たように思います。
それでも、去年会った時に
「僕の最後の夢は、アキラのツアーにPAで一緒に回ることなんだ」と言ってくれて
えー!じゃあ早くなんとか段取りしないとね、なんて言ってた。
間に合わなかった。
近々会って、話そうと思ってたとこだった。
聞きたいことがあった。
こないだ出来た新しい曲も聴いてもらいたかった。
来年出すアルバムも聴いてもらいたかった。
音楽の話を、もっと聞きたかった。
宇宙の話も
神様の話も
お父さんの人生の話を
もっと聞きたかった。
間に合わなかった。
寿命は天命。
父が決めたのだと思う。
お通夜もお葬式も、
形式的なものは何もなく家族葬で
父もいつものチェックシャツにニット帽、という姿でした。
たくさんの方に集まって頂き、本当にありがとうございました。
わたしが子供だったとき、まだ一緒に暮らしてた時
あんだんてや家に来ていた当時高校生バンドマンだった方々に数十年ぶりに会えたり
(お互い歳をとってんのに「アキラちゃん?」「〇〇のおにーちゃん??」てな感じで(笑)
皆さんあんだんての事を話して下さって
あーお父さんはやっぱりすごいなあって思ったよ。
たくさんの方に迷惑をかけて、ダメな人だったけど
わたしにとっては、音楽家として、誇れる父です。
そして、冗談が大好きだったお父さんらしく
笑いが起こるなんともユニークな式でした。
泣き笑いの中で皆でお父さんをいじって
お姉ちゃんなんて
「油性マジックで目書いたろーと思ってたのに(笑)」って
そしたら
「この親にしてこの子あり」と皆で泣き笑い
お父さんもきっと「お前は最後までひどいっ!」って笑ってるだろうなって思います。
いじられキャラだね、お父さん(笑)
宇宙人だから
UFOに乗って自分の星へ還って行ったんだろうな。
またわたしも同じ星へ還れるかな。
そしたらたくさん歌聴いてね。
そして、感想きかせてね。
ダメ出しでも良いから。
ありがとね。
お父さん。
本当は大好きでした。
素直になれずごめんね。
お父さんの願いも一緒に、歌うからね。
師匠。
ありがとう。
父の最後を、たくさんの方に見送って頂き、本当に感謝です。
ありがとうございました。
昔弾いていたギターだそうです。
かっこいいね!ジャズマスター。
ワンマンライブを見にきてくれた時。
真ん中に鎮座されておられるのが父上様であられまする(笑)
勇敢な鳥の弾き語りバージョンを録音してもらった時。
CDの裏ジャケにしました。
最近の写真。写真が嫌いな人なので、あんまりないんだな、、
お仕事中。
一瞬、なんだこりゃ?コードまみれ!と思ったら(笑)
PAの仕事中でした(笑)
ここでも「わっ撮るなよぅー」ってやってる(笑)
愛用ヘッドホンもらいました。
最後の日もこれを持参していたらしい。
毛玉だらけやないかー(笑)
ボロボロですな。
レコーディングの時もこれ使うからね。
お父さんまたね!
離れて居てもわたしはお父さんの娘だ。
ずっと。
こんな事を書く日が来るとは思いもしませんでした。
突然のこと過ぎて、未だに夢かな?と思う事があります。
実感がありません。
涙が急に溢れたり、
ボケーっとテレビ見たり
自分でもよく分からない感じです。
ライブのPAの仕事に行く途中、容態が急変して、そのままという事でした。
父はわたしに最初に音楽を教えてくれたミュージシャンです。
わたしが一番最初に書いた曲は、幼稚園か小学生か、そんな頃に父と書いた動物の歌。
冬、外にいる動物は寒くないかなって話しをしていたら
「アキラ、歌を作ろう」と言って
動物の歌を一緒に作りました。
(数年前のワンマンで披露した曲だよ)
それがシンガーソングライターの始まりだったのかなと今は思います。
音楽の他にも、
宇宙の不思議や、魂の不思議、、
そもそも、お父さんが不思議な人でした。
父をよく知る人や家族の間では、お父さんは宇宙人(笑)
天に近い人でスピリチュアルな人でした。
父は若かりし頃、ギターリストとして横浜に住んでいました。
わたしが高校生の頃、自分が載っている雑誌を見せてくれた事がありました。
真っ白なスーツ?を着てギターを弾いてる姿でした。
グループサウンズの時代ですね。
ギターリストとして数年東京で活動して、体を壊して京都の地元へ戻り
そこで、レコード楽器店「あんだんて」を開業しました。
山と海しかないこんな田舎町に、エレキギターやロックを連れてきたのが父でした。
http://himenoakira.jugem.jp/?eid=1139
(ここで詳しく書いています。)
「あんだんて」はたくさんの若者で賑わって
一時期は、2店舗を構えるほどでした。
ギターレッスンなんかも始めたりして。
わたしは小学5年生までしか父と暮らしていないので
そのあとの詳しい事はあんまり知らないけど
時代も変わり、大きなモールもできて、またインターネットも出てきて、
小売店が厳しい時代にもなり
あんだんての店舗は潰れました。
それから父は、
「物は売らない。腕だけでやる」と
ライブのPAエンジニアとしてあんだんてを続けました。
楽器屋の時代からコンサートのPAもやっていたりしたので
それ1本になりました。
わたしが田舎で歌うときは、いつも父がPAでした。
わたしがデビューして
毎回CDを渡して
すごく覚えてるのは
2枚目のシングルのアレンジを聞いて
「お、アキラ、これはビートルズだなぁ」と言った父に
わたしが
「お父さん、、そう思うじゃん?
でもこれはBADFINGERなんだなー」と言うと
嬉しそうに「そっちかー!」と笑って
わたしもなんだか、お父さんと対等に話せてるみたいで嬉しくて
今でもとても心に残っています。
音楽の話しをするときはキラキラした少年の顔に戻る
そんなお父さんが大好きでした。
「ここのコーラスが、、ほら!凄かろうがぁ〜」とか
「このコードの、こっからこう行くのが〜〜…(キラキラした顔)」…
本当に音楽に恋をしてるんだなあと
父親だけど、可愛い人だなぁと思って聞いてました。
70歳手前から少しやる気がなくなって来たように思います。
それでも、去年会った時に
「僕の最後の夢は、アキラのツアーにPAで一緒に回ることなんだ」と言ってくれて
えー!じゃあ早くなんとか段取りしないとね、なんて言ってた。
間に合わなかった。
近々会って、話そうと思ってたとこだった。
聞きたいことがあった。
こないだ出来た新しい曲も聴いてもらいたかった。
来年出すアルバムも聴いてもらいたかった。
音楽の話を、もっと聞きたかった。
宇宙の話も
神様の話も
お父さんの人生の話を
もっと聞きたかった。
間に合わなかった。
寿命は天命。
父が決めたのだと思う。
お通夜もお葬式も、
形式的なものは何もなく家族葬で
父もいつものチェックシャツにニット帽、という姿でした。
たくさんの方に集まって頂き、本当にありがとうございました。
わたしが子供だったとき、まだ一緒に暮らしてた時
あんだんてや家に来ていた当時高校生バンドマンだった方々に数十年ぶりに会えたり
(お互い歳をとってんのに「アキラちゃん?」「〇〇のおにーちゃん??」てな感じで(笑)
皆さんあんだんての事を話して下さって
あーお父さんはやっぱりすごいなあって思ったよ。
たくさんの方に迷惑をかけて、ダメな人だったけど
わたしにとっては、音楽家として、誇れる父です。
そして、冗談が大好きだったお父さんらしく
笑いが起こるなんともユニークな式でした。
泣き笑いの中で皆でお父さんをいじって
お姉ちゃんなんて
「油性マジックで目書いたろーと思ってたのに(笑)」って
そしたら
「この親にしてこの子あり」と皆で泣き笑い
お父さんもきっと「お前は最後までひどいっ!」って笑ってるだろうなって思います。
いじられキャラだね、お父さん(笑)
宇宙人だから
UFOに乗って自分の星へ還って行ったんだろうな。
またわたしも同じ星へ還れるかな。
そしたらたくさん歌聴いてね。
そして、感想きかせてね。
ダメ出しでも良いから。
ありがとね。
お父さん。
本当は大好きでした。
素直になれずごめんね。
お父さんの願いも一緒に、歌うからね。
師匠。
ありがとう。
父の最後を、たくさんの方に見送って頂き、本当に感謝です。
ありがとうございました。
昔弾いていたギターだそうです。
かっこいいね!ジャズマスター。
ワンマンライブを見にきてくれた時。
真ん中に鎮座されておられるのが父上様であられまする(笑)
勇敢な鳥の弾き語りバージョンを録音してもらった時。
CDの裏ジャケにしました。
最近の写真。写真が嫌いな人なので、あんまりないんだな、、
お仕事中。
一瞬、なんだこりゃ?コードまみれ!と思ったら(笑)
PAの仕事中でした(笑)
ここでも「わっ撮るなよぅー」ってやってる(笑)
愛用ヘッドホンもらいました。
最後の日もこれを持参していたらしい。
毛玉だらけやないかー(笑)
ボロボロですな。
レコーディングの時もこれ使うからね。
お父さんまたね!
離れて居てもわたしはお父さんの娘だ。
ずっと。
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